私がT細胞分化の研究を始めたのは1984年頃だったと
思う.始めたと言っても,T細胞系列にコミットされた
前駆細胞(p-T)が存在するのか否かさえ分からず,した
がってp-Tと造血幹細胞との区別をつけることもできな
かったのだから,それこそ地図もなく山に登るような感
があった.
展望が開けたのは,10年以上もたってMLPアッセイ
(multilineage progenitor assay)の着想を得てからの事
である.このとき開発したMLPアッセイは,1個ずつの
前駆細胞のミエロイド(M),TおよびB細胞系列への分化
能を測定できる方法で,今ではMLP<MTB>アッセイと
呼んでいる. この方法によってp-Tをはじめいろいろな
前駆細胞を区別できるようになり,T細胞初期分化の研
究は一挙に進むのであるが,それ以外にもMLPアッセイ
は造血の考え方を大きく変えるような発見をもたらした.
それは,少しオーバーに言えば造血プロセスに関するパ
ラダイムを変えるほどの衝撃だったのであるが,ちっと
も驚いてくれない人が多かったりして苦笑している.私
個人としても大発見云々というよりは苦節10年を取り戻
せたという安堵感のほうが大きいわけで,この短文は苦
楽を共にした仲間への報告のつもりで書いている.
言わずもがなであるが,TCR遺伝子がクローニングさ
れた1984年以後のT細胞研究は至って華々しいもので
あった.TCR遺伝子の再構成機構,関連遺伝子の発見,
シグナリングの機構…,数え上げればきりがない.その
ような状況下では,T系列へのコミットメントなどは
TCRβ鎖遺伝子の再構成に付随したささいなことか,ま
たはTCRβ再構成の別の側面にすぎないと思われていた.
それでも私たちがT細胞初期分化の研究にこだわり続け
たのは,T細胞分化という題材が細胞分化の研究にとっ
て特別に魅力的だからである.前駆細胞から成熟T細胞
へ至るまでに細胞は多様な変貌を遂げつつ107倍にも増殖
する.しかも,表面抗原に対するモノクローナル抗体を
用いて分化途中のいろいろな段階の細胞を選り分けて解
析することが可能である.これほど恵まれた実験系は少
ないであろう.
MLP<MTB>アッセイはM,T,B3系列への分化
能を調べる方法だから,検出できる前駆細胞は7種類に
分けられるはずである.これらは,分化できる系列の前
にp-をつけて,p-MTB, p-MT, p-MB, p-TB, p-M, p-T,
p-Bと呼んでいる.胎仔肝臓中にはp-TB以外はすべて検
出された.10年間待ち望んだp-Tの同定は感激的であっ
たし,その後の私たちの研究のほとんどはこのp-Tをめ
ぐって進んでいる.それはさておき,p-TBが存在しな
いという単純至極な実験結果が驚くほどの展開をみせる
ことになった.従来から造血のプロセスにはstochastic
model(これは誤解をまねく表現で正しくはrandom restriction
modelと呼ばれるべき)が当てはまるという考
えが広く行き渡っていた.random restrictionではp-TB
が存在しないことは許されないことになる.しかし,詳
しく調べるとp-TBだけでなく赤血球とB細胞とかB細
胞とナチュラルキラー細胞に共通の前駆細胞など,存在
しないものはいくらでも見つかる.そもそもrandom restriciton
など発生における分化では考えられないはずの
ことではないだろうか.可能な組み合わせの中間体のうち
に実在しないものがいくつもあることが分かって,ordered
restrictionが造血プロセスにも適用できるよになっ
た.すなわち,造血は細胞分化研究の表舞台へ復帰する
ことが可能となったのである.
p-TBが存在しないということは,T細胞とB細胞の
進化のプロセスについても再考をうながすことになるか
もしれない.T,B系列に共通の前駆細胞は,実体が分
からないうちからCLP(common lymphoid progenitor)
という名称まで与えられて,p-TBのようなものが想定
されていた.しかし,これが存在しないことが明らかと
なり,CLPというのはミエロイド分化能を持つp-MTB
までさかのぼることが必要となった.p-MTBからp-MT,
p-MBを経由してp-T, p-Bがつくられる.このような系
列コミットメントのプロセスは,T細胞とB細胞は一見
よく似てはいるが,実際にはかなり独立に,しかも両系
列ともミエロイド系を軸に進化してきたことを示唆して
いるのではないだろうか.
このような,考え方の基幹にかかわる発信は必ずしも
すんなりと受け入れられるわけではない.日本の学者は
受信は得意だが発信は不得手といわれる.しかし,逆に
欧米の学者は受信は不得手なのかもしれない.とくに日
本など東洋からのものは,自分たちが作ったパラダイム
に合うものを好んで受信する面がある.日本からの発信
がむずかしいのはこの相乗効果によるように思う.自然
科学の多くの分野が成熟期に入っている現代において,
今さらパラダイム変更などかび臭い話だと思われるかも
しれない.しかし,巨大化している自然科学をヒューマ
ンサイズに大転換するのが21世紀の科学者の使命である
とすれば,たくさんのパラダイム変更が必要となってく
るのではないだろうか.日本からの多くの発信が,科学
の行く先を明るくするものであることを望みたい.